2009年12月14日
たとえ
自分を取り巻く世界が
どんなに平和でも
想いがすさんでいれば
心は凍てつくばかり
たとえ
自分を取り巻く世界が
どんなに絶望的だったとしても
想いが穏やかなら
暖かい心で人と接することができる
なにも
難しいことなどなく‥
すべては
想いひとつ

どんなに平和でも
想いがすさんでいれば
心は凍てつくばかり
たとえ
自分を取り巻く世界が
どんなに絶望的だったとしても
想いが穏やかなら
暖かい心で人と接することができる
なにも
難しいことなどなく‥
すべては
想いひとつ

Posted by まこりんAA at 03:31│Comments(8)
この記事へのコメント
こんにちは
春 内に在り…
この言葉、すごく好き
内在神
信じよう

春 内に在り…
この言葉、すごく好き

内在神

Posted by 更紗 at 2009年12月14日 07:29
ほんと、「春 内に在り」いいですね。
それにしても、文語は難しいですね。「往かずとも」だと「行かなくても」だと思ってしまいますよね。でも、「とも」は打ち消しの「ず」に付くんですね。いやぁ〜、難しい!
それにしても、文語は難しいですね。「往かずとも」だと「行かなくても」だと思ってしまいますよね。でも、「とも」は打ち消しの「ず」に付くんですね。いやぁ〜、難しい!
Posted by よいかおり at 2009年12月14日 10:26
はじめまして
昨夜合い席でご一緒させていただいた
「今日はなに作ろう」のかずねぇです。
ブログ拝見させていただきました。
私も「春内に在り」いいですね。
又どこかでご縁がありましたらどうぞ宜しく。
昨夜合い席でご一緒させていただいた
「今日はなに作ろう」のかずねぇです。
ブログ拝見させていただきました。
私も「春内に在り」いいですね。
又どこかでご縁がありましたらどうぞ宜しく。
Posted by かずねえ at 2009年12月14日 16:03
昨夜、「かずねえさん」と一緒だった、
「ちーいちゃん」です。
夕べは、写真の撮り方勉強になりました。
ありがとうございました。
ブログ、楽しみにしています。
「ちーいちゃん」です。
夕べは、写真の撮り方勉強になりました。
ありがとうございました。
ブログ、楽しみにしています。
Posted by ちーいちゃん
at 2009年12月14日 16:59

私が今見ているグレートジャーニーのエピソードの中で・・・
ソ連時代に20歳でスパイ容疑をかけられシベリアに投獄されて・・・やっと無実が証明できて、出所できたのが70歳。しかもその間に妻は亡くなっていた・・・という御老人の話。
人生の大半を奪われたにもかかわらず、その老人は恨み事を言うこともなく「自分は生きていられてラッキーだった」と云った。
心ひとつ。人生の主人公は自分なのだと心改まります。
ソ連時代に20歳でスパイ容疑をかけられシベリアに投獄されて・・・やっと無実が証明できて、出所できたのが70歳。しかもその間に妻は亡くなっていた・・・という御老人の話。
人生の大半を奪われたにもかかわらず、その老人は恨み事を言うこともなく「自分は生きていられてラッキーだった」と云った。
心ひとつ。人生の主人公は自分なのだと心改まります。
Posted by ツルゲネフ
at 2009年12月15日 00:05

>更紗さん
神がいるのは
自身の「内」だけではありません(笑)
道端の石ころにも
野の花にも
枝に張る蜘蛛の巣にも
もちろん
電信柱や犬にも
そよぐ風にも
降り注ぐ陽射しにも‥
すべてのものの「内」に
神(御仏)は
おわします
それが神の「偏在」ということなんでしょうネ♪
>よいかおりさん
俺も難しいことはよく分かりません(汗)
往かずとも
は
「往く」+「ず」+「とも」
ということで
「ず」は打ち消しの助動詞
「とも」は動詞および動詞型活用の
助動詞の終止形で
意味は
「例え~であっても」
っていう感じだと思います
とすると
「ずとも」というのは
「例え~することをしなくても」?
みたいな意味になるような気がするので
そこに「往く」を入れると
「往かずとも」
は
「例え往くことをしなくても」
↓
「例え往かなくても」
になると思ったんですが‥
「例え往かなくても」
というのを
「ずとも」ではなく
正式な文語で表現すると
どんな形になるのが正しいんでしょうか?
う~ん
文語は難しいですネ(大汗)
>かずねぇさん
日曜の夜は
大変お世話になりました!
独りで乗り込んでいったので
孤立してしまったらどうしましょう?
と思ってドキドキしていましたが
かずねぇさんとちーいちゃんさんに
声をかけていただけて
とても楽しいひとときを過ごすことができました♪
ありがとうございます
>ちーいちゃんさん
かずねぇさんと同じく
日曜の夜はありがとうございました♪
写真の撮り方‥だなんて
勉強なさるほど大したことは
何一つ教えるだけのものを持っていない俺です(汗)
>ツルゲネフさん
想いひとつで
視点を変えて世の中を見ることは
ある意味
「現実逃避」なのかも?って思うときがあります
でも
現実逃避することで
自分が明るくなって
その結果
周りの人に優しく暖かく接することができるなら
この場合の現実逃避は
「正しい間違い」
なのではないでしょうか?(笑)
神がいるのは
自身の「内」だけではありません(笑)
道端の石ころにも
野の花にも
枝に張る蜘蛛の巣にも
もちろん
電信柱や犬にも
そよぐ風にも
降り注ぐ陽射しにも‥
すべてのものの「内」に
神(御仏)は
おわします
それが神の「偏在」ということなんでしょうネ♪
>よいかおりさん
俺も難しいことはよく分かりません(汗)
往かずとも
は
「往く」+「ず」+「とも」
ということで
「ず」は打ち消しの助動詞
「とも」は動詞および動詞型活用の
助動詞の終止形で
意味は
「例え~であっても」
っていう感じだと思います
とすると
「ずとも」というのは
「例え~することをしなくても」?
みたいな意味になるような気がするので
そこに「往く」を入れると
「往かずとも」
は
「例え往くことをしなくても」
↓
「例え往かなくても」
になると思ったんですが‥
「例え往かなくても」
というのを
「ずとも」ではなく
正式な文語で表現すると
どんな形になるのが正しいんでしょうか?
う~ん
文語は難しいですネ(大汗)
>かずねぇさん
日曜の夜は
大変お世話になりました!
独りで乗り込んでいったので
孤立してしまったらどうしましょう?
と思ってドキドキしていましたが
かずねぇさんとちーいちゃんさんに
声をかけていただけて
とても楽しいひとときを過ごすことができました♪
ありがとうございます
>ちーいちゃんさん
かずねぇさんと同じく
日曜の夜はありがとうございました♪
写真の撮り方‥だなんて
勉強なさるほど大したことは
何一つ教えるだけのものを持っていない俺です(汗)
>ツルゲネフさん
想いひとつで
視点を変えて世の中を見ることは
ある意味
「現実逃避」なのかも?って思うときがあります
でも
現実逃避することで
自分が明るくなって
その結果
周りの人に優しく暖かく接することができるなら
この場合の現実逃避は
「正しい間違い」
なのではないでしょうか?(笑)
Posted by まこりんPM
at 2009年12月15日 06:21

まこりんさん、ごめんなさい。
私はこの句を間違って受け止めていたようです。「冷たい冬路を往っても春が内にあるから、温かいのだ」と理解していました。
ですから、打ち消しの「ず」があるのは下の語が「とも」だからなんだと、でも、打ち消しの語が付いているのに、「往っても」と訳すのかなぁ?と思っていました。
「往かなくても」なら「往かずとも」が断然正しいのだと思います。
私って、昔からぱっと見て、勝手に思い込むところあるんです。ほんとに、ごめんなさい。
でも、文語って本当に難しいですね。でも、短く纏めたりするときは、口語だと長ったらしくなって纏まらないところを、きゅっと纏めて引き締めてくれるので、重宝な気がして・・。
私はこの句を間違って受け止めていたようです。「冷たい冬路を往っても春が内にあるから、温かいのだ」と理解していました。
ですから、打ち消しの「ず」があるのは下の語が「とも」だからなんだと、でも、打ち消しの語が付いているのに、「往っても」と訳すのかなぁ?と思っていました。
「往かなくても」なら「往かずとも」が断然正しいのだと思います。
私って、昔からぱっと見て、勝手に思い込むところあるんです。ほんとに、ごめんなさい。
でも、文語って本当に難しいですね。でも、短く纏めたりするときは、口語だと長ったらしくなって纏まらないところを、きゅっと纏めて引き締めてくれるので、重宝な気がして・・。
Posted by よいかおり at 2009年12月15日 10:02
>よいかおりさん
心の中の春を見失い
自分の外の「幻の春」をいたずらに求めて
凍てつく冬をさまよう人が
とても多いように感じています
自分の外に「幻の春」を求めなくても
自分の心に春があれば
凍てつく冬をさまよって
自分を傷つけることもないだろうに‥
というのが
俺がこの句に込めた想いで
まぁこんな風に
自分の句を自分で解説するのは
ひどくこっ恥ずかしいんですが(大汗)
そんな
俺の想いは俺の想いとして
句に接する人は
どんな風にでも
自由に受け取るのが一番だと思うし
俺の詠んだ句に
自由なイメージを重ねてもらうほど
詠み手冥利?に尽きることは
ありません(笑)
だから
よいかおりさんが謝ることなんて
なんにもないんですよ♪
心の中の春を見失い
自分の外の「幻の春」をいたずらに求めて
凍てつく冬をさまよう人が
とても多いように感じています
自分の外に「幻の春」を求めなくても
自分の心に春があれば
凍てつく冬をさまよって
自分を傷つけることもないだろうに‥
というのが
俺がこの句に込めた想いで
まぁこんな風に
自分の句を自分で解説するのは
ひどくこっ恥ずかしいんですが(大汗)
そんな
俺の想いは俺の想いとして
句に接する人は
どんな風にでも
自由に受け取るのが一番だと思うし
俺の詠んだ句に
自由なイメージを重ねてもらうほど
詠み手冥利?に尽きることは
ありません(笑)
だから
よいかおりさんが謝ることなんて
なんにもないんですよ♪
Posted by まこりんPM
at 2009年12月16日 07:12
